Xなどで「仕事で何でも屋さん状態であること」に悩むエンジニアを見かけることがあります。過去を振り返ってみると、自分も似たような悩みを持っていたように思います。

じゃあなにか特別な対応をして乗り越えたのか?と言われると正直違っていて、どこかで折り合いをつけられるようになった(あるいは何でも屋さんを降りる術を身に着けた?)のかもしれません。

ブログ記事にでもしてみたら、いろいろな意見が集まるかもしれないな、と期待して、今回は何でも屋さんであることの良し悪しと、それに対するケイパビリティ、つまり「何でも屋さん状態に結論を出さずに耐える能力」について考えてみたいと思います。

そもそも「何でも屋さん」とは何か。なぜネガティブに捉えられるのか。

何でも屋さん、と表現されるとき、それがポジティブな意味で使われることは少ない気がしています。どちらかといえばネガティブな意味合いで使われます。

  • 器用貧乏
  • 特別な強みがない
  • 肩書とは違う業務をあれこれ担っている

などでしょうか。

言葉の響きや、ある種自虐的に使われがちな状況からも、「やらされ感」を伴って「何でも屋さん」と表現することが多そうです。

しかし、単純に「仕事をなんでもやる」というだけであれば、ネガティブではないはずです。

わかりやすい例としては、ベンチャー企業の初期メンバーです!みたいな人たちは、おそらくなんでも屋さん状態です。人も少ない、ビジネスをはやく形にしたい、大きくしたい、という状況なので、なんでもやるしかありません。

ではこの、ベンチャー企業の初期メンバーで何でもやってる人たちはネガティブな意味で何でも屋さんなのかといえば、おそらくNoですよね。何が違うんでしょうか。

何でも屋さんは2種類に大別できる説

があると思います。

ひとつは能動的何でも屋さん、もうひとつが受動的何でも屋さんです。

最初に書いた、Xなどで「何でも屋さんだ・・・」と悩んでいる人は、おそらく後者、受動的何でも屋さんなのではないでしょうか。そして、何でも屋さんの中の割合として多いのも、受動的何でも屋さんだと思われます。

受動的何でも屋さんの憂鬱

受動的、と表現しているくらいなので、この人たちは進んで何でも屋さんになったわけではありません。組織の求めに応じているうちに結果的にそうなった人たちです。

受動的何でも屋さんと対をなす能動的何でも屋さんは、逆に自分から何でも屋さんになったか、何でも屋さんになったけれどもそれを良し(あるいはやむなし)としている人たちです。先の例の、ベンチャー企業の初期メンバーなどは能動的何でも屋さんと言えるでしょう。

能動的何でも屋さんは、ゴールやミッションがはっきりしています。やるべきこと、やりたいことが先にあって、そのための手段を選ばないことで「何でも屋さん」になっています。

一方受動的何でも屋さんは、ゴールやミッションがはっきりしていないことが多い。会社の中で落ちたボールを拾うように頼まれた等、積み重なって結果的に何でも屋さんになってしまったパターンが多いのではないでしょうか。

そうなると、先に対する不安が当然出てきます。頼まれたことをやっているので、会社に最低限の貢献はしている。しかし、見通しは立ちづらい。これはゴールやミッションが明確な能動的何でも屋さんとは違うところです。

受動的何でも屋さん=悪ではない

受動的というとネガティブ感がありますが、個人的には能動的何でも屋さん=悪ではないと思います。

例えば新しい会社に入社して間もないときなどは、一定期間「受動的何でも屋さん」になることが必要な場合もあるはずです。ポジション次第ではありますが、中途で入っていきなり「私のミッションはコレなので関係ないことはしません!」とは言いづらいですよね。どちらかといえば、多くの場合は、「とりあえずコレを」と頼まれた仕事をこなしつつ、色々な部署の人たちとコミュニケーションを取り、相互理解を深めて、仕事の土台を作る必要があります。

100%自分から動いて土台作りをするのはなかなか困難なので、「頼まれた仕事を遂行する」というお題目のもとで動いたほうが都合がよい場面もあるはずです。

また、他の「受動的何でも屋さんが悪ではない」パターンとしては、会社や部署としての試行錯誤・模索をしている場合です。 例えば「DX推進チーム」が発足して、リーダーが考えた業務をメンバーとして仕事をする、というポジションの場合、おそらくは次々といろいろな施策が立ち上がっては、やったり立ち消えたりする状況に置かれるはずです。この場合は、日々コロコロ変わるタスクに対応しなければならないこともあり、受動的何でも屋さんに近づきます。

しかし、個人としては受動的何でも屋さん風になったとしても、所属しているチームや組織全体で見たときには能動的に動いている、とも言えるので、この場合も悪とはいい切れません。もちろん組織としては、ミッションやゴールがきちんと共有されて、組織のミッションがブレークダウンされて個人のミッションになって・・・という状態が理想です。が、そんな理想はなかなか叶わないわけで・・・

このような場合は、何でも屋さん状態に悩むのではなく、上位の組織ミッションを自分の中で腹落ちさせるのが先ですね。

受動から能動へ切り替えられるかどうかが勝負

というように(?)、「何でも屋さん状態」であることに悩む場面はあるあるですが、「何でもやっている状態」そのものが問題なのではなく、そこに対する動機づけや主体性の有無、もっと言えば「自分が腹落ちしたやるべきことがあって、その実現手段として何でもやっている状態」に入れるかどうかが問題なのではないでしょうか。

もちろん個人のマインドセットでなんとかなる場面もあるでしょうし、上司や会社側のフォローとしてこれを促せるか、あるいは個人がミッションを腹落ちさせようとしているのを邪魔しないであげられるか、も鍵になってきます。

なので、何でも屋さん状態だからといってすぐそれを脱しようとするのではなく、何でも屋さんケイパビリティを持って、受動から能動に切り替えられるかな?という視点で1回あがいてもらえるのがいいんじゃないでしょうか。もし周りに「何でも屋さんなのに待遇が良かったり、楽しそうに働いたりしている人」がいたら、たぶん能動的何でも屋さんだからです。