某所で話題になっていたので、とくに構成は練らずに思うまま書いてみます。


昔(と言っても5年前ですが)は、内輪感出してるコミュニティに対して「それはだめじゃない?」的なことを言っていたようです。残念ながらこのツイートの背景や何に対して言っているのかは忘れてしまいました・・・

ただ、最近は若干考え方が異なってきていて、内輪感は「一定しょうがないんじゃないか」と考えています。

エンジニアの技術コミュニティも、2025年現在ではそれなりに長く続いてきているものも多いです。長く続いているということは、昔からいる人と、最近入ってきた人と、混在しているということでもあります。コミュニティにおいて「入っている」という概念は単純ではなく濃淡がありますが、ここでは一旦無視しましょう。

で、最近Xで話題になっていたのは、QAなのかソフトウェアテストなのか、その界隈が内輪感あるよね、という話だったと想います。

上で書いたとおりこれはある程度は仕方ないかなーと思っています。し、QAやソフトウェアテストのコミュニティに限った話ではないはずです。

内輪感を放っておいてもいい、ではない

ここで断っておきたいのが、エンジニアコミュニティに内輪感が出ているとしたら、それは放置しておいてはいけないだろう、と思っています。

コミュニティというのはある程度新陳代謝、つまり新しい人が入ってこないと盛り上がりが持続しません。一般的な会社だってそうですよね。新入社員や中途入社の社員を「新しい風」などと例えることもありますし、流れない水は腐るように組織にも人の出入りが必要です。

コミュニティが持つ半オープンな性質

そのため、一般にコミュニティというものは半オープンな性質を持っている、といえるでしょう。あえて「半」をつけたのは、コミュニティによっては誰彼構わず入ってきていいわけではないから、です。

QAやソフトウェアテストのコミュニティは開かれたほうだとは思いますが、だからといって「人事です!QAやソフトウェアテストには正直興味ないですが、エンジニア採用したくて入りました!」みたいな人は困るわけです。

なので、コミュニティは半オープン=特定の興味関心を持つことや、コンテキストを共有していること、一定の振る舞いのルールを守れることなどを前提としたオープンな状態で、新しい人を迎え入れています。

どの程度の代謝を目指すかはコミュニティのフェーズに依存する

ここで、今回のメインターゲットであるQAやソフトウェアテストのコミュニティに話を戻します。

QAやソフトウェアテストのコミュニティは、JaSSTも20年以上続いているので、歴史の長いものです。これは私見なのですが、テストエンジニアやテスターの立場が低かった時代、作業者として扱われていた時代であれば「なんとか仲間同士つながろう」「テストエンジニアの地位向上!」といった狙いでコミュニティの参加者を増やし、より大きな存在感を示す必要もあったかもしれません。このフェーズであれば、内輪感をなるべくださず、新規の人も参加しやすいできるだけ開かれたコミュニティに、という選択もありそうです。

一方20年以上続いているQA・ソフトウェアテスト関連のコミュニティ(あえて広く捉えています)は、先人たちの努力の結果、存在感も大きくなりましたし、昨今QAエンジニアの立ち位置というのがかなり良いものになっているのは間違いないでしょう。実態よりも大きくなりすぎているのでは?という感もありますが、本題からそれるので別日のブログネタにします。

そうなると、ソフトウェアテストコミュニティにとっては、コミュニティを盛り上げたい、新しい人に来てほしいという思いはもちろんあると思いますが、同時に古くからいる人達にとっても居場所になったり、価値ある場になる必要性もあります。このあたりの、新しい人に対する比重や幅の広さが、「界隈」とか「内輪感」につながってしまっているのかな?と思います。

で、そういった内輪感はゼロにはならないものだと思います。コミュニティ自体実行委員などの有志が運営していますが、新規に優しくフルオープンなコミュニティ、というのは運営負荷があまりにも高い。かつ、コミュニティの空気というのはそこに参加する全員が影響するものなので、コントロールも難しい。

つまり、新しくやってきた人が「うわっ、内輪感あるわ〜」と思ったとして、それを完全に取り去ることは誰かひとりの思いや行動だけでは無理だろう、と思います。

そもそもコミュニティというのは内輪感を共有するためにある説

わたしはコミュニティの専門家ではないので素人考えですが、そもそも人間が群れる=コミュニティを形成するのは、そこで何らかの共通属性・考え方などを持った人同士が交流するのが楽しいからだ、と考えます。

つまりコミュニティの仲間は同質だから仲間であり、それらを仲間たらしめているのは同質でないもの=コミュニティの外の存在ですよね。そうなると、コミュニティというものはそもそも内輪感をもつことで「おれたち”は”仲間だよね!」という意識を共有する性質のものなのでは、と思います。

コミュニティに内輪感出すなというのではなく、内輪に入っていく側が変わるしかなさそう

が今の私の結論です。

や、気持ちというか、わかるんですよ。自分も普段参加してない界隈のイベントとか見て、「あ〜内輪だな〜」と感じる派です。むしろひとより感じてると思います。

ただ、だからといって「お前たちは内輪感がある!」と言ったとて何もならないんですよねおそらく。子ども連れて公園に行って、ママ友が数名話している横通ってチラチラッして、「なんで入れてくれないんだ!内輪で盛り上がりやがって!」と言ってるのと大差ないんですよねこれ。(エンジニアコミュニティがイベント開いている場合と条件・状況はもちろん違いますが、例え話として。)

そこは自分から声かけていかないと。

ここでの戦略もいくつかあって、ひとつは勇気出して声かけまくって内輪に入ってもらう方法。他には、別の実績や目立つなにかを持った状態に自分がなって、相手から声をかけてもらう率を上げる方法。

ちなみに私は後者戦略をとりがちで、自分から誰かに話しかけにいくのができないので、ブログせっせと書いたり登壇したりして、相手から声かけてもらえる方向に努力をしています。

しかしJaSST東京で「伊藤さんですよね?」と声かけていただいても「アッハイソウデス」しか言えない人見知りなので、声かけてもらったその先の戦略を考えなければ・・・

おわり。