アウトプットは複利だな・・・と(主にうまくいっている他人を見ていて)思うことがあります。

アウトプット初期は変化に乏しい

よくエンジニアはアウトプットが大事だとか、皆発信しようとか、言われますよね。

一方でそれを信じてアウトプットをし始めた人が続かない、というのもよく見かけます。なぜか。

ひとつには、「アウトプットをしても反応がないから」が挙げられると思っています。「大変だから」もセットです。時間や労力をかけてアウトプットをしたのに、反応がない。自分が成長している実感もない。やってられんわ、となるわけです。

ところが、アウトプットが大事だよと言っている人たちを見ると、「ブログがきっかけで出版社から打診があり本を書きました」とか、「発表資料がめっちゃ読まれてます」とか、アウトプットしたことによるリターン・変化が大きいように見えませんか。私には見えます。

もちろんアウトプットの質自体もあるのですが、単純に継続的にアウトプットしたことによって、一回あたりの変化量(もらえる反応や自身の成長の量)が大きくなった、とも考えられます。これを、タイトルのように「アウトプットは複利だ」と表現しました。

アウトプットが複利、のメカニズム

私は、エンジニアのアウトプットに対する周囲の評価には、以下の2つの側面があると考えています。

  1. 発信元
  2. 内容

ひとつめは「**さんが書いた・話した・説明したこと」という側面です。ふたつめはそのまま、内容です。

世の中では「誰が言ったかではなくて何を言ったかが大事」なんて言われることもあります。1より2、ということです。主に偉い人や権威のある人、有名な人が言ってることだからといって簡単に信じてはいけないよ、という戒めでしょうか。

これは正しいですね。すごそうな人が誤ったことを言う場合もありますし、悪意を持って誰かを騙そうとしている可能性だってあります。大事なのは内容の信憑性です。間違いない。

間違いない、のですが、一方で人間はどうしても「誰が言ったか」に影響を受けてしまうように思います。

異業種からIT転職した駆け出しエンジニアとベテランが同じことを言ったとして、後者のほうが周りから見たら「さすが!」とか「そのとおりですよね!」と言われやすい。

両者で違うのは、信頼です。言っていることが信頼できるかどうか。単純にベテランのほうが信頼できる(ように見える)。つまり、発信元の信頼の蓄積が、内容の評価に影響します。

で、もとの話に戻ると、アウトプットしはじめた人が反応をもらえなかったり、自分の成長を実感しづらいなど変化に乏しいのは、発信元に信頼の蓄積がないから、です。逆に有益な情報を発信している、継続的なアウトプットをしている、といった信頼が積み重なってくると、その内容に価値を感じてもらえるようになる。

繰り返しですが、実際にアウトプットそのものが持っている価値が変わらないかもしれませんが、周囲に「役に立つ・面白い等と感じてもらう度合い」が変化する、という話です。

だから、アウトプットを続けて、少しずつ信頼や「あいつの言ってること・やってることは役に立つぞ、面白いぞ」と思ってもらう機会を増やす。それが積み重なってくると、世の中で「アウトプットは大事だよ」と言っている人たちのように、単位アウトプットあたりの変化量が大きくなり、よりその「大事さ」を実感できるようになる、という仕組みです。

これは絶望でもあり希望でもある

大げさにいうとこれって希望でも絶望でもあるよなぁと、ここまで書いてて思いました。

アウトプットが複利だということは、単発ですごく良いことを発信してもそれが人の役に立ったり評価されたりする可能性はかなり少ないです。もちろんSNS時代で一発どかんと当てる人もいますが、そこを狙いにいくのはギャンブルです。

むしろ多少未熟だったり、質の高いアウトプットができなかったりしても、単純に「継続する」ことによって将来有利な状況を作りだせる、というのはある種希望があるとも言えそうです。

若いうちからアウトプットを積み重ねておくと、あとで大きなリターンが得られるよ。という状況は、まさに複利。20代からS&P500に積み立て設定して放置するのと同じですね。